2011年6月30日木曜日

『桜の園』

本日紹介するのは、チェーホフ『桜の園』です。
およそ100年も前に描かれたこの戯曲は、今なお様々な演出家たちによって解釈しなおされ再演される不朽の名作。
地主であった貴族階級が資本主義の中で没落し新たなブルジョワジーが勃興してゆくさまが桜の園を舞台に美しく描かれています。
誰しも生まれ育ったその土地に対する思いは、大人になっても消えずに残っているものでしょう。
昔の思い出は頭の中で美化され、「あの場所に行けばきっとあの頃の自分が取り戻せる」などと幻想を抱くこともあるかもしれません。
女地主のラネーフスカヤはうまくいかない人生に途方に暮れて古い領地である桜の園に戻ってきて、
「飛んで跳ねて、両手を振り回したい」と言うほどに心は浮かれ昔の夢に浸かるも束の間、
その土地を売りに出さざるを得ない状況に陥ってしまいます。
この物語には十数人の人物が立ち代り登場し、誰かが誰かを愛していたり憎んでいたりと
様々な人間模様がいささか複雑に描かれているのですが、
なかでも母親でもあるラネーフスカヤが感情も露わに子供のように泣き喚く姿を
娘の恋人である聡明な大学生トロフィーモフがあやすように静かに諭す場面はなんとも印象的です。

トロフィーモフ「・・・昔の夢ですよ。気を落ち着けてください、奥さん。いつまでも自分をごまかしていずに、せめて一生に一度でも、真実をまともに見ることです」
ラネーフスカヤ「・・・わたし、なんだか眼が霞んでしまったみたいで、何一つ見えないの。あなたはどんな重大な問題でも、勇敢にズバリと決めてしまいなさるけど、でもどうでしょう、それはあなたが若くって何一つ自分の問題を苦しみ抜いたことがないからじゃないかしら?・・・」


歳を重ねれば重ねるほど、眼に見えてくるものと見えなくなってしまうものがあり、生きてゆく故の辛さをやり切れない感じたそのとき、支えとなるのは心にある思い出なのかもしれません。思い出はいつまでも色褪せず、振り返っては磨き輝かせて大切にとっておくべき宝物。

普段小説をよく読む人にとって、セリフの飛び交う戯曲を読む行為は新鮮なはず。
海外の読み物はカタカナの名前をつい混同させてしまいがちですが、
常に頭に人物相関図を描きながら、そして舞台での上演を想像しながら読み進めるのは
なかなか面白い体験となることでしょう。

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